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      <title>カンドレ・マンドレ</title>
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      <description>井上陽水FILE</description>
      <language>ja</language>
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         <title>ある企業の改善能力　6</title>
         <description>自分の部屋からは見つからず、見渡したところ、廊下にも落ちていないことが不思議になって、あれえと思ってしまったからです。


おばあちゃんは、孫が求めているもの、つまり答、野鴨の例でいえばえさを与えようとしました。


母親は、その探しかたを教えようとしました。


そして父親は、探しかたさえ、彼女に考えさせたのでした。


人びとが求めているものに対する、親として、上長として、教師としての、正反対の対応のしかたと、その結果を表したものです。


えさを与え続けるとどうなるかは、野鴨の話が端的に示していました。


人にお金を与え続けるとどうなるか・・・。


それは、人をだめにする最も確かな方法であることは間違いないでしょう。


答を与え続けるとどうなるか。


その結果がロボット症でした。


つまり、上欄が「人を道具として」であり、下欄が、その反対の「人を人として」の人間観によるものです。


この図に、マジックのふたをめぐる3つの対応のしかたを当てはめると、どうなるか。


おばあちゃんが上欄に、母親が中間に、父親が下欄に位置することになります。


・・・となると、ここに重要なことがわかってきます。


おばあちゃんは、孫を「道具として」扱おうとしたか。


とんでもありません。


目の中に入れても痛くないほど可愛い孫が求めているもの、それを与えてやりたかっただけなのです。


・・・つまり、愛すればこそであったのです。


そのことが、「人を道具として」という、その思いとは反対の結果をもたらしてしまうということです。


この例の中に、「人を道具として」は意図せざる人間観であることの一側面が素朴に現れています。


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         <pubDate>Mon, 12 Dec 2011 12:04:52 +0900</pubDate>
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         <title>ある企業の改善能力　5</title>
         <description>彼女に対する3つの対応の中で、どれが最も「人を人として」ということになるでしょうか。


まず、おばあちゃん。


探しても見つけえなかったに違いありません。


そうするとどうなるか。


たぶん、「しょうがない、また買ってもらいなさい」でおしまいだったと思います。


母親の言葉で彼女が動いたとしたらどうなるか。


おそらくちょっと探して、「おかあさん、なかった」と戻ってくるに違いないでしょう。


それに対して母親が、「探しかたが悪いのよ、ごはんが終わってからもういちど探しなさい」がおちです。


再び探しに動くことなどありえないでしょう。


彼女なりに、探してもないという結論を出しているのだから。


父親の問いかけによって、なぜ見つけ出すまで探し続けたか・・・。


自分の部屋から食堂のテーブルまでの間にある、と自分で考えついたからです。

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         <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 12:04:07 +0900</pubDate>
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         <title>ある企業の改善能力　4</title>
         <description>母親が行ってみると、おもちゃ箱はひっくり返り、その中身が部屋中に散らばった中で、彼女は探し回っていました。


なかなか見つかりません。


しかし、ないはずはないと思っていたのであろう彼女は、探索をやめようとはせず、自分の部屋から食堂に続く廊下に目を移しました。


そしてしばらく後に、とうとう見つけ出してしまったのです。


彼女の部屋と食堂の間にあるおばあちゃんの部屋の座卓の下から出てきたのでした。


板張りの廊下に落ちたふたが弾んで、戸が開いていたおばあちゃんの部屋に転がり込んだらしいのです。


発見直後の娘の興奮はしばらく続きました。


私の体に抱き付くようにして、息せききって、ついに発見してしまったこと・・・


そして、おばあちゃんの部屋から出てきたことの不思議さを訴えるのです。


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         <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 12:03:20 +0900</pubDate>
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         <title>ある企業の改善能力　3</title>
         <description>母親にせかされた彼女は、「マジックのふたがないのよ」と声を大きくしました。


この種の光景のとき、まずお出ましになるのはおばあちゃんです。


元気いっぱいの娘は椅子に座って「ない、ない」と騒いでいるだけですが、年をとったおばあちゃんのほうは、テーブルの下に潜ってそのふたを探しはじめたのです。


それを見た母親が、おばあちゃんの動きを制止しました。


「自分の部屋にあるんじゃないの。自分で探してらっしゃい」


・・・と言おうとしたようです。


しかし父親である私が、それを止めて、


「○○○ちゃん、そのふた、どこを探したら出てくる？」


・・・と問いかけました。


4歳ともなれば、自分のおもちゃ箱から出した時には付いていたふたが今はないのですから、そこからテーブルまでの間を探せばよいことはわかります。


私の問いかけに、彼女はすぐに椅子を下りて探しに行きました。


5分たち、10分たっても戻って来ません。

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         <pubDate>Fri, 09 Sep 2011 12:02:20 +0900</pubDate>
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         <title>英文を書く上で大事なこと</title>
         <description><![CDATA[●不必要な言葉を省け!
His story is a strange one.はHis story is strange.だけでいいということである。

こういう練習を積んでおくと、スピーキングの場合でも役立つはずだ。

学校英語をまじめに勉強してきた人は、「～であるところの」という関係代名詞にまどわされて、ややもすると次のように饒舌になる。

Miyako,who is a member of the Tomonokai,lives in the house in which (where) one can see the view ocean.

こんなのはズバーッと短くすればよい。

Miyako,a tomonokai menber,lives in the house with an ocean view.

これがスピーキングのリズムでもあるのだ。

●アイデアは同じ形で並べよ!

欧米人を説得する場合、同じ形の文章を繰り返すことだ。

エドワード・ケネディ議員のJobs,jobs,jobs(人々が欲しいのは、仕事、仕事、仕事なんだ)というリフレインは、最近のイギリスの選挙戦にも用いられて、同じような拍手かっさいを浴びたという。

これが「<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁　リフォーム</a>」だったらどのようになるか考えてみる。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 27 Aug 2011 11:43:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>国籍の取得</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.1stclub.com" target="_blank">国際結婚 紹介</a>によって結婚し、子どもが生まれた場合・・・


考えるべきは国籍の取得です。


まずは外国人の配偶者と日本人との間に生まれた子どもの国籍について。


a.子の出生のときに、父または母が日本人であれば、その子は日本国籍となります。


b.子の出生の前に日本人である父が死亡し、死亡したときに日本人であれば子は日本国籍となります。


子が日本で生まれた場合に、父母がともに知れないとき、または国籍を有しないときは、日本国籍となります(国籍法第3条)。


生地主義を採用する国の外国人と日本人が結婚し、日本で生まれた場合には、当然その子は日本国籍を取得しますが、配偶者の国籍も取得し二重国籍になることがあります。


日本では二重国籍を認めていませんので、他の国の国籍も取得した子は国籍法の定めるところにより22歳までに国籍の選択をしなければなりません。


日本の国籍を選択する者は、戸籍法の定めるところにより日本の国籍を選択し、同時に外国の国籍を放棄する旨の宣言をしなければなりません(戸籍法第104条の2)。

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         <link>http://universezodiac.com/2011/07/post_24.html</link>
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         <pubDate>Sun, 10 Jul 2011 14:17:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>血統主義について</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.1stclub.com" target="_blank">国際結婚 紹介</a>などで結婚をする人々にとって大きな関心となるのが、血統主義ですね。


血統主義は以下の2つに分かれています。


（1）父母両系血統主義。


両親のどちらかがその国の国籍であれば、その間に生まれた子どもの国籍は、その国の国籍を取得すると国籍法が決めているものです。


日本、大韓民国、中華人民共和国、ドイツ、フランス、ブイリピン、ミャンマー、ロシア、タイなど多くの国が採用しています。


（2）父系優先血統主義。


両親のうち父親の血統のみを優先するもので、父親がたとえば日本人であるときのみその子どもが日本国籍を取得するとするものです。


この制度の下では母親が日本人であっても父親が外国人であれば、その間に生まれた子どもは日本国籍を取得できません。


日本や韓国も以前はこの主義を採用していましたが、現在は父母両系血統主義になりました。


この主義を採用する国には、イラク、イラン、インドネシア、中華民国(台湾)、スリランカ、インドネシア等があります。


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         <link>http://universezodiac.com/2011/06/post_23.html</link>
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         <pubDate>Sun, 05 Jun 2011 14:16:34 +0900</pubDate>
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         <title>ある企業の改善能力　2</title>
         <description>Ｍさんはいまは同社の試作工場長となっていますが、Aさんと等しく、体質的に組革研の文化に馴みやすい人です。


当時は次長として、Aさんの女房役であると同時に、参謀となって重要な役割を果たしていました。


なお、この事例の中に出てきた人たちの肩書は当時のものであって、今は全員が昇進して変わっています。


これは娘が4歳のときの話です。


子どもたちは幼稚園に通いはじめると、「お絵描き」という言葉をよく口にします。


彼女が夕食まえのひととき、食堂のテーブルで、自分の部屋から持ってきたマジックインキでお絵描きをやっていました。


夕食の用意ができた台所から、


「○○○ちゃん、食事よ。片付けて」


・・・と母親の声。


娘は「はーい」と返事をして片付けはじめたのですが、マジックインキのふたが見つからないのです。

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         <pubDate>Wed, 25 May 2011 12:01:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ある企業の改善能力</title>
         <description>ある工場には約70のサークルが登録されています。


この工場の見事な改善能力は、ここに負うところが大きかったことは言うまでもないでしょう。


1976年ごろに存在していたサークル活動の実態は、けっして活性化されたものではなく、そこに魂を入れ、それを生きたものにしてきた76年以降の活動こそが、この工場を素晴らしくしてきたと見るからです。


Aさんは、とりわけサークルリーダーの組織化にも力を入れていました。


次は最重要な点であって、1976年から83年までの8年間の変革期をリードしてきた人びとについてです。


何といっても、最初は企画課長として、78年からは工場長となってその頂点にあった、Aさんの存在は大きかったのです。


まずは、彼の人柄のよさです。


これについては多くを語らないことにしますが、彼のそれなくして、あの精機工機工場はなかったかもしれないでしょう。


この男が、文字通り命がけで、一生懸命に&quot;鬼&quot;となってがんばっている姿、そして、部下たちの仕事への闘いぶりとその成長を、涙して喜んでいた姿を、私もとくと見てきました。


Aさんの部下として、精機工機工場を築いてきた多くの人たちがいます。


すべてを書きつくせないので、その代表として一人、Mさんを紹介しておきましょう。

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         <pubDate>Mon, 25 Apr 2011 11:59:46 +0900</pubDate>
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         <title>環境診断の方法　3</title>
         <description>生命や生命集団は、単なる積木細工とは異なります。


まちがいのない環境診断・現状診断・自然診断のためには、個別に要因を分析し計量化することです。


それと同時に、もう一方で、総合的に把握し、それでも総合しきれない要因に検討を加えるための第二の方法を同時に模索し、推し進めてゆかなければならないでしょう。


人間も動物であり、動物は生物界の一員です。


生物集団がこの限られた地球上で存続するには、一つの掟を免れることができません。


それは、個別の群落や群集、あるいは種群や個体は相互にもたれあい、共に生きる集団としての見えない糸で結びつけられた生態系というきわめて精巧なシステムの個々の結び目としてしか、存続し得ないということを意味しています。


したがって、一見相反するように見えるヘビとカエル、寄主と寄生虫の間にも、ある微妙な共存関係を基本とした生物共同体的な対応が存在することを常に想起する必要があるのです。


その事実は、自然の実体から逆に、例えば人間の生存環境・生活環境を診断する場合に用いることが可能であるということを意味しています。


つまり、人間と共生関係にある他の生物集団の行動が十分把握出来るならば、その生物集団・共存共生者の動きを通して・・・


同じ生物である例えば動物と植物の関係、同じ植物でも個々の群落とその隣接群落との関係、さらに生態系の消費者の間でピラミッドの頂点に立たされている人間の持続的な生活環境・生存環境の診断を試みることが可能ということです。

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         <pubDate>Wed, 02 Mar 2011 11:12:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>環境診断の方法　2</title>
         <description>問題は現代の科学技術をもってしても、まだ人間あるいは他の動植物の生存環境を構成しているすべての要因を計量化し、その上での完全な総合が可能になっていないことです。


自然のシステムは、すでに考察されたエコシステムでも分かるように、直接・間接、見える糸・無数の見えない糸によってはりめぐらされた、いわゆるシームレスの布目のようなものでしょう。


科学的・計量的な分析把握は確かにモダンで合理的であり、個々のデータを量的に知る場合にはきわめて有効な調査法であり研究法です。


しかし、現状では把握しきれない未知の要因がかなり含まれている自然環境を対象とする場合には、分析的な手法だけでは不十分なのです。


一つの細胞・組織・器官・個体はもちろんのこと、同一種からなる集団、さまざまな種が組み合わされて形成されている生物社会の成長・発展・存続。


さらには消滅・後退のメカニズムについて、時間的・空間的・総合的に現在分かっていることだけの資料をインプットしても、そこから出てくる結論にしたがうことは、まだきわめて危険でしょう。

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         <pubDate>Sat, 12 Feb 2011 11:11:39 +0900</pubDate>
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         <title>環境診断の方法</title>
         <description>生命の側.人間の側・生命集団の側からみると、私たちが現在生活している都市や田園景観・・・


さらに自然が残されているといわれる高山・海岸・離島の自然環境は、どのような状態にあるでしょうか。


自然の診断、緑の現状診断に対しても、さまざまなアプローチの方法が考えられます。


一般的には、現代科学の常識的な手法として、対象を出来るだけ細かく分析し、計量化し、そこで把握された要因を・・・


例えばコンピュータにインプットして、シュミレーション・メソッドで診断するという方法が考えられます。


たとえば、大気圏・地圏・生物圏に分け、さらにその生物圏についても、人間・動物・植物・微生物やその集団が生存している空間を物理的・化学的に検討を加え、局地的、中地域的、マクロな地球的・・・


あるいは地方的・国土的な診断・手がかりを求めるという具合です。


また、気候条件.地形条件、植物の場合はさらに土壌条件、人間や動物が与える影響度などを出来るだけ区分し、それぞれ細分された個々の要因について分析的に、質的に、さらに計量的に把握を行なうという方法です。

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         <pubDate>Wed, 02 Feb 2011 11:10:22 +0900</pubDate>
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         <title>自然界の微妙な均衡　4</title>
         <description>現代人はこのような未知へのこわさを忘れ、不明の部分をきりすてて、計量化できるカーブや数値で表現できるもの・・・


経済指数で表わせるものだけを中心にした自然のシステムや環境問題を考えようとしてきました。


このようなやり方では、既知の個々のデータあるいは要因に対しては対応出来ます。


その具体的な実績が、十数年のマに日本が公害後進国から公害対策先進国になった個々の発生源対策の成果でしょう。


しかし、それらを総合したトータル・システムとしてのルールについては、まだまだ規制されていません。


無法時代が広がっているのです。


人が病気になったり、死亡してからではおそすぎます。


未知の要因も含めた総合的な自然界のルールを、グローバルなシステムから個々の具体的な生活域や活動域の中にも正しく読み取ることが大切でしょう。


人間も含めた生物集団と環境のゴムまりのような多様なシステムを総合的に把握し、自然界のルールを踏えた上での私たち一人ひとりの生存の確保が考えられ、社会制度として構築されなければなりません。


環境権も含めた生存権を保障するためには、このような自然界のルールを先取りし、そのシステムの中でまちがいのない一人ひとりの生活活動・日常活動が進められること。


さらにトータルとしての人間社会、人類の未来にむかっての永遠につまずかないルール作りが必要になってくるのではないでしょうか。


それは人間社会のみが作りうる、そしてすべての人々が共有でき、そして従うことが可能な人間社会のルール・・・


すなわち法的体系の整備にもつながると考えられます。


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         <pubDate>Wed, 12 Jan 2011 11:08:52 +0900</pubDate>
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         <title>自然界の微妙な均衡　3</title>
         <description>たとえば、尾瀬ヶ原のアヤメ平斜面のキダチミズゴケ湿原のように、泥炭の浅い斜面にかろうじてその泥炭をおさえながら発達している雪田植生的な湿原群落では・・・


人が不用意に立ち入ると、ちょうど、ミズゴケ類や生きた植物の根が古綿を縛る縄のような間は生物共同体の一員として生きのびてゆくことができるのです。


一見、見えない大気の組成や成分から水の中まで、私たちは非生物的な材料・環境要因については、かなり具体的に、新しい測定機械を使って計量化し、把握・考察することが可能になっています。


しかし、そのような個々の自然の構成要因から人間も含めた生物社会・生態系をシステムとして総合的に把握するには、まだまだ現代の科学・技術・医学では、未知の分野、今後解明されなければならない分野がきわめて多いのです。


とくに今までの自然科学は分析科学に片寄りすぎています。


したがって、個々の計量化は可能であっても、それを総合化した生態系、生物社会と環境のトータル・システムとしての立体像を具体的に構築することは、まだ不十分にしかできません。


概念的・理念的に大まかなエネルギーの循環システムあるいは物質の交流、また、人間も含めた生物が地圏と大気圏の生きたフィルターの機能を果たすことなどは、理論的にはかなり明らかに把握でき、部分的には計量化が可能です。


しかし、それを総合して見た場合、小さな湖、一本の小川、あるいは一つの山に対してすら、具体的にそのシステムを具現化することはきわめて困難なのです。


現代の科学はそれに対して未熟であるといえるでしょう。

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         <pubDate>Sun, 02 Jan 2011 11:04:31 +0900</pubDate>
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         <title>自然界の微妙な均衡　2</title>
         <description>ダイナミックな自然の、あるいは一定の人為的影響とつり合った生物社会の均衡状態は、それが1回限りの突然の自然のカタストローフやあるいは人間の無思慮な干渉によって破壊された場合・・・。


比較的容易に回復できるところと、回復がほとんど不可能なところとがあります。


一般に、人為的影響も含めて環境要因が多様で安定した地域では森林が形成されています。


長い間一定の人間の干渉とつり合って持続してきた関東地方のクヌギ、コナラ、エゴノキ、ヤマザクラなどの雑木林をみてみましょう。


15年か20年に1回伐採するという人為的な影響とつり合って存続している状態の里山林などでは、これらの人間の影響は、実はその遷移途上の二次林を足踏みさせ、均衡状態を確保するための一つのバランスのとり手の機能を果たしています。


しかし、一般にややきびしい、また極端な立地条件に生育している植生、例えば尾根すじ・急斜面などのモミ林、あるいはツガ・スギ・ヒノキの自生林などでは、一度伐採という形で人の手が入ると復元され均衡がとれるまでにはかなり時間がかかります。


その極端な例として、数メートル以上の泥炭の上にきびしい自然条件との微妙なバランスをとって成り立っている植物群落をあげることができます。


尾瀬ヶ原湿原や東北の八幡平湿原などでは、人が道からはずれて踏みこむだけで、そのミズゴケ湿原は壊滅的な破壊をうけます。


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         <pubDate>Sun, 12 Dec 2010 11:03:00 +0900</pubDate>
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