ある企業の改善能力 6
自分の部屋からは見つからず、見渡したところ、廊下にも落ちていないことが不思議になって、あれえと思ってしまったからです。
おばあちゃんは、孫が求めているもの、つまり答、野鴨の例でいえばえさを与えようとしました。
母親は、その探しかたを教えようとしました。
そして父親は、探しかたさえ、彼女に考えさせたのでした。
人びとが求めているものに対する、親として、上長として、教師としての、正反対の対応のしかたと、その結果を表したものです。
えさを与え続けるとどうなるかは、野鴨の話が端的に示していました。
人にお金を与え続けるとどうなるか・・・。
それは、人をだめにする最も確かな方法であることは間違いないでしょう。
答を与え続けるとどうなるか。
その結果がロボット症でした。
つまり、上欄が「人を道具として」であり、下欄が、その反対の「人を人として」の人間観によるものです。
この図に、マジックのふたをめぐる3つの対応のしかたを当てはめると、どうなるか。
おばあちゃんが上欄に、母親が中間に、父親が下欄に位置することになります。
・・・となると、ここに重要なことがわかってきます。
おばあちゃんは、孫を「道具として」扱おうとしたか。
とんでもありません。
目の中に入れても痛くないほど可愛い孫が求めているもの、それを与えてやりたかっただけなのです。
・・・つまり、愛すればこそであったのです。
そのことが、「人を道具として」という、その思いとは反対の結果をもたらしてしまうということです。
この例の中に、「人を道具として」は意図せざる人間観であることの一側面が素朴に現れています。